ということで、包括支援センターの人が実家に来ることになりました。
包括支援センターの訪問から入院まで
やっぱり母は乗り気じゃなかった
叔母たちの活躍で、母は包括支援センターの訪問を受け入れることになりました。すでに、 私としては、母の入院も念頭にありました。
しかし、当日、実家に行くと 実家の店舗部分で伯母と叔母(ややこしい)が待っていました。 「母は?」と聞くと奥にいるとのこと。のぞくと……
やっぱり…明らかに気乗りがしていない様子です。 そして、担当者がやってきました。
担当者は百戦錬磨だった
母は、奥に引っ込んでいて、叔母たちがうながしても動こうとしません。 包括支援センターの担当者は 奥にいる母に気軽な感じで話しかけました。
A子さん(母の名)調子が悪そうだっていうんで様子を見に来たんよ。
会ってくれるまで何度も来るから、何度も大変になるよ。 今日会ったら、すむから出てきてよ。 会ってくれるまで何度も来るよ。 娘さんやご兄弟にも迷惑をかけるよ。
人に手をかけさせるのが大嫌いな母は、ゆっくり奥の部屋から出てきました。
いくつか質問に答えてくださいね。 難しいのもあるけど、わかるかなぁ?
いくつか質問と、体の動きを確認しました。 母はバカにされるのが大嫌い。一生懸命答えました。
この症状じゃったら、 もしかしたら病院で治療したらずいぶん良くなるかもしれないよ。 いい薬があるから。
じゃあ、来週病院に行きましょう。
母は考える時間を与えられた
母は1週間考える時間を与えられた形になりました。そして、 あとから聞いたら、
身体の機能もずいぶん失われていて、かなり悪いんで、 すぐ入院のほうがいいかとも思ったんですけど、
お母さまは、納得しないと動かない方のようだったので 自分と向き合う時間をとりました。
たぶん、体が動かないこと本人が一番わかっていらっしゃるんで
医療を受ける気になると思います。
とのことでした。 なるほど。タイプ別に対応を変えるのか…… 普段、身内としか話さない母。
他人には自分を飾ろうとする。 その気持ちもうまく使って受診に向かわせたのは、やっぱり専門の人という感じでした。
ついに30年ぶりの受診
次の週に母は30年ぶりに病院にかかりました。最初は保険証がなくて探しました。 血液検査と認知症の検査、そして運動機能の確認。 最後に医師とも話をしました。
受け入れがたいほど調子が悪いです。
そうか、その視点だと理解できることも多いかもしれない。つまり、 自分は視野が狭い…… 専門家に手伝ってもらって進めることができてよかった。
入院して抗パーキンソン薬を点滴すれば、ずいぶん症状はよくなると思います。
ただ、放置している期間が長かったから、どこまでよくなるかは未知数です。
リハビリすると、また違うと思います。
結局、入院となりました。
母が思っている状態と本当の状態は違う
母の入院のあれこれは、朝10時に最初の受診をして、夕方7時くらいまでかかりました。病院の準備の時間もかかったからです。 全てを終えて、一度実家に帰りました。 家を片付けると言っていた叔母の置手紙がありました。
「ごめんなさい 私はようしません」
家の中は、物が積み重なり、 床はところどころフワフワしていました。 たぶん、今の実家の状態は 母の意識の中の実家の状態とは違うのです。
私ができることはなにか
一時帰宅にせよ、なんにせよ 母が受け入れられる状態にまで片付けよう。 そのとき、母の入院に立ち会っているときそう思っていました。 できないことはあるけれど、できることはしよう。 迷っていた母の洗濯も請け負うことにしました。