
この記事はコロナの影響が出始めた頃|特養移動とピアノ の続きです。
今回はお墓の話です。
母が実家に住みだしてから亡くなるまで1年程ありました。その間、私の入院や体調もあったので、縁があったピアノ以外はほとんど片づけはおこないませんでした。
でも、お墓のことは「どうしてもやっておかなくては」と思いました。
母が再入院して、医師に「覚悟してください」と言われたとき、「お墓のことをはっきりさせなくては」と、まず思いました。
けれど、お墓のことは、家族によって事情が違います。私の悩みに悩んだ経緯、もしよろしければ参考にしてください。
「その日」が来る前に、お墓のことを決めておかねば
実は、我が家の場合、ちょっと事情があり、母のお墓をどうするのかを決めていませんでした。それにお墓のことは、自分の範疇を超えた話で、結論が出せずにいました。
そもそもの私の実家と父の墓所
私が生まれた家は、今住んでいるところから車で1時間半ほど離れた場所です。そこで、父と母、祖父と祖母、叔母たちと小学生まで暮らしていました。
私が小学生だった頃父が亡くなり、母は、母の実家の近くに、私が中学生になったのを機に家を出て住むことにしました。それが、私が実家と言っている家です。
なので、父のお墓は、その私の生家の近くにあります。その後、祖父や祖母も墓所に入りました。現在は叔母たちが面倒を見てくれています。

母の希望
もともと母は、母の実家が檀家になっているお寺に墓所を買うつもりのようでした。
あるとき墓の話になったとき、母からその話を聞きました。

それと、実家のある場所は公園にして、自分の歌碑を建てたい。
母の趣味は俳句と短歌。趣味人の中では歌碑を建てるのは、珍しいことではないようでした。

母とのトラブルと若かった私の考え
その話を聞いて、私はとんでもないことだと思いました。父と母は同じ場所の墓所に入ればいいと思っていました。
母は生家の人たちと反りがあわなかったけれど、死後はそれもこれも”すんだこと”になるんじゃないの?と思っていたからです。
なので、母にはそう言いました。
そのころは私も元気だったので、車で1時間ならどうにかなると思っていたのです。若かったのかもしれません。生家の人にも、私はそうするつもりだと言っていました。
その話をしたとき、母は、黙っていました。
母は、私との話のあと、周囲の人には、しょうがないと言っていたようです。納得できないけれど、了承という感じだったのでしょうか?
その後、お墓のことは親子の間で話をしませんでした。
私の病気と考えの浅さ
そうして、私は病気になり、母は覚悟の必要な状態になりました。
その状況で考えると、私の生家の近くの墓に母を埋葬するのは現実的ではない気がしました。
- そのとき、私は動きが取れず法要のたびに1時間半の往復は無理な気がした。
- お墓は叔母たちに面倒を見てもらっており、母を任せるのは筋違いに思えた。
- 実家の近くの母の親しくしている人から、気軽に墓参りができないのは辛いといわれた。
- 私の子どもたちの世代には、私の生家は遠い存在で、付き合いを続けるのは無理かもしれないと思った。
なにをどうすればいいのか
でも、私の中には迷いもありました。
- 父と母は夫婦のままであり、それを別に埋葬するのは違和感がある
- 生家の人には「ゆくゆく墓守は私がする」といってあり、そのつもりだと思う
決めたと思っても戻り、また悩みを繰り返していました。
どう結論を出せばいいのか、迷う日々
どうすればいいのか?もう決めておかなけれれば…
死が近いということは、母に言えませんでした。だから、母とお墓の話をするのは「お母さんは死ぬんだから!」と言っているのと同じような気がして、相談ができませんでした。
焦る気持ちの中、暗礁に乗り上げてしまいました。
夫の実家に頼る方法も考え、義父に話もしましたが、他の親戚の手前もあり、それもなんだか違う気がしました。

父の法要の知らせ
そんなとき父の法要の知らせが届きました。47回忌です。
とりあえず、問題はそこで問い合わせよう。それだけは決まりました。
