このページは以下のページの続きです。葬儀の準備、おこなったこと、寺や葬儀社と打ち合わせた内容についての話です。
母の死後すぐの連絡 準備の始まり
私は、母の死後すぐには誰にも連絡はしませんでした。母の死に立ち会った人が近しい人には連絡をしてくれました。結局、これが葬儀準備の始まりです。
具体的には、母の兄弟と私の夫の実家です。

次の日に連絡したところ
次の日に連絡したところは、私の亡父の実家と私が当時勤めていた会社です。
残りは関係のある親戚からそれぞれに連絡した旨教えてもらいました。母の住んでいた地区には、母の実家から話をした旨の連絡が来ました。

届け出は葬儀社に
役所への届け出、新聞社への連絡は葬儀社の仕事でした。
死亡届(死亡診断書を添付:特養で医師にいただいていました)火葬申請書の必要なところを書いて、これらを出していただきました。そして火葬許可証など必要書類をいただきました。
これも料金のうちだったのですが、担当者の方に「出しますね」と言われて、そのままお願いしてしまいました。

死亡届を出しに行ってもらっている間に
死亡届を出しに行ってもらう間に、私は娘たちとキャッシュコーナーに行き母の口座から葬儀費用を引き出し準備しました。
銀行は、死亡の事実を知ると口座を凍結すると聞いていたからです。
結果的には、私が銀行や郵便局にその旨を告げるまで講座は凍結されなかったのですが、ケースバイケースのようです。

お寺との打ち合わせ
お寺には、まず葬儀社から連絡し、日程調整がおこなわれました。
そして、我が家の場合は寺総代である従兄(お寺に話をつないでくれた人物)から、連絡がありました。
仏式の費用について説明を受けました
まず費用のことを言われました。
- 通夜・葬式での読経料
- 戒名料
- 位牌費用
- 法要の費用
- 永代供養費用
それぞれと、だんどりと準備について、従兄を通じて私に説明がありました。
葬儀・法要はどこまでするか
永代供養の場合、位牌をしない場合も法要をしない選択もできるといわれましたが、とりあえず3年までの法要についてはお願いするというかたちにしました。
つまり
- 葬儀
- 初七日から四九日まで
- 1年
- 3年
になります。なぜ3年までとしたのかには、理由が2つあります。
- 今まで嫁ぎ先の葬儀を2つ経験していたのですが3年までが”一区切り”という気がしたから
- そのころ病状について自信がなく、7年後のことまで考えられない
7年後には、自分も葬式をあげているかもしれないという気持ちが私にはありました。
檀家のことはどうするか
また、寺の檀家になるかどうかも、ここで聞かれました。
檀家制度とは、ある寺院がそれぞれの檀家の葬祭供養を独占的に執り行なうことを条件に結ばれた、寺と檀家の関係をいう。寺請制度、あるいは寺檀制度ともいう。江戸幕府の宗教統制政策から生まれた制度であり、家や祖先崇拝の側面を強く持つ。
ウィキペディア
その時の私は、檀家になると、奉仕作業、話し合いなどがあると理解しました。でも我が家の場合、あとを継ぐ者がいないことから檀家はお断りしました。母の実家が寺の檀家であるので、それで許されたのかもしれません。
そのぶん、お布施というかたちをとっているつもりです。
葬儀社との打ち合わせと準備
葬儀社との打ち合わせは多岐にわたりました。
結婚式なら何ヶ月もかけて決めることを、数時間で決めなければいけません。
祭壇、御棺、骨壺、花、人数など
合祀墓の場合、骨壺に名前があった方がいいという寺からのアドバイスがあり、そうしました。

それ以外に連絡したところ
母の友人は、叔母たちにもよくわからないところが多く、コロナもあって特別には連絡しませんでした。葬儀後に年賀状のやり取りをしている方に連絡し、電話をいただいたり、お菓子を送っていただいたりし、学生時代の母の話をしました。
その縁で、母の卒業した大学の校友会からも連絡をいただきました。
