これは、母の葬儀と法要の話です。以下の記事の続きになります。
葬儀はシンプルに、こだわりは少なかったです
コロナが広がっている頃だったので、派手な葬儀はおこないたくてもおこなえませんでした。
それは、私にとっては好都合でした。それが、したくないことを断る方便になったからです。
葬儀は、できるだけシンプルに。
それは、母も望んでいるように思いました。
だって、そんな生き方をしていました。
葬儀でわたしがこだわったことは、ひとつだけ
けれど、私が葬儀でこだわったことが、ひとつだけあります。
それは、御棺に母が育ててきた庭の花を入れることでした。母は、数年前まで、毎週末に庭を丹精していました。
「庭なんか作るんじゃなかった」といいながら、それでも手入れをしていました。だから、花は母の子どものようなもの。
私より、よっぽど母のそばで過ごしていた花たちと送り出したい。そう思いました。
その時は、ツツジやキンシバイ、そして百合が庭を覆うように咲いていました。
花が悪くならないように、葬儀の朝、葬儀場から母の庭に出向きました。そして籠にたくさん取ってきておきました。
そして、葬儀のときに参列の方に入れてもらいました。
本当は母が自慢にしていたシャクヤクも入れたかったのですが、触るとサラサラと崩れてしまいました。
葬儀用の花を取っても、花はたくさん残り、その家の中で、まるで母が生きているように感じられました。
なぜか行ったこと
今となっては自分の心境はよくわからないのですが、遺体を風呂に入れ化粧をする「湯灌」というオプションをおこないました。
湯灌とは、葬儀に際し遺体を入浴させ、洗浄すること。簡易には遺体を清拭することで済ませる場合もある。故人が男性の場合はその際に髭を剃られ、女性の場合は死に化粧が施される。地域差があり、一般的ではない地域もあるとされる。
Wikipediaより
私の住む地域では行うことは少ないようでしたが、一般的なところもあるようです。
以下のようなお風呂に入れました(なぜか勧められ写真を撮りました)
母は生前お化粧は薄かったのに、しっかりメイクをされてしまいました。ちゃんと言えばよかったのかと思います。