
できるだけ簡潔に、感情をこめずに進めます。
汚い表現が出てきます。
苦手な方は読まないよう、お願いします。
第2片づけ期とは
母が実家に戻ることが決まってから、戻るまでの期間です。
✓片づけの目的
〇母が不自由な体でも生活できるようにする
〇清潔な状態に整える
〇ヘルパーさんが作業しやすくする
台所の片づけ・置手紙
最初の記事と病院に行かない主義の母の入院 ③入院と決意にも書きましたが、 最初、おば(いつも出てくる叔母とは別)が家を片づけたとき 「わたしは、ようしません」という、置手紙がありました。
じつはこの手紙の文章は省略しています。
本当の文章は 「ごめんなさい。私はようしません。」
「台所には手をつけませんでした。ふみちゃん、よろしく」 つまり台所は、入院の時点で、他人が手をつけられないくらい荒れていました。
図はイメージです。
台所が大変なことになった原因
台所が大変なことになったのは、台所の持つ場所的原因と母の病気による原因、それと、状況原因が複合しています。
場所的原因
- 台所には食べ物が置いてあり腐敗しやすい
- 水だまりができやすい
病気による原因
- 洗い物ができなくなっていた
- 鍋に料理を入れたままにして、次の鍋で料理をしていた
- 冷蔵庫が開閉できなかったので、なんでも台所に放置されていた
状況原因
- 冷蔵庫の棚がダンボールだった(たぶん棚が壊れたのでダンボールをかわりに置いていた)
- 冷蔵庫が壊れていた
- 果実酒や漬けたものがたくさんあった
入院から、母が戻ってくることが決まるまで4ヶ月ありました。その間、台所は放置。
よろしくと言われたけれど、冷凍食品が台所の入り口に放置され、腐っていたので、それだけは捨てましたが、立ち入りもしていませんでした。
冬場でしたが、大変でした。
娘にヘルプを頼む
私には娘が3人います。 申し訳ないけれどヘルプを出しました。 ひとりではできる気がしなかったのです。
ホームセンターでゴミ袋、手袋、マスクを買って、
「30分だけ頑張ろう!」と
台所に乗り込みました。
4人で、わぁわぁ言いながらやりました。
結局30分を超えて、40分くらい活動。
「どうにもこうにも大変なこと」という山場を越えられました。
この台所掃除、娘たちは「二度と嫌!」と言います。今でも「大変だった」と話すことがあります。
できたゴミ袋は、我が家のゴミの日の朝に車に新聞紙をひいて、実家に取りに行き、ごみ収集に出しました。
できるだけ気をつけていたはずですが、透明な袋を上にかけ汁が漏れるのを防ぐ対策が必要でした。
床は新聞紙で拭いて、一緒に捨てました。拭いた新聞紙だけで1袋できました。
台所の片づけ・方針
片づけは、「パッと内容が見てわからないもの、汚れたり異臭のするものは捨てる」という方針で
おこないました。
何かががついたまま放置されていた鍋は、娘には分別できず、そのまま廃棄しました。
液体として、よくわからない果実酒類があったのですが、流しにザルを用意して、水をたくさん流しながら廃棄。(環境破壊ですね。ごめんなさい。)油がなかったからできたことです。
母の台所に「なにかの醤油漬け」「なにかのアルコール漬け」「なにかの酢漬け」しか、廃棄対象はなかったのです。
あとで、戻った母から、

私が漬けとった○○しらん?
と聞かれたのですが、知らぬ存ぜぬで通しました。
「捨てた」とは言いませんでした。