特養で亡くなった母|葬儀にはどう繋いだのか

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特養からの電話|母の容態と決断 の次の葬儀の手配の話です。

SAKURAE
SAKURAE

母は6月の夜9時ごろ旅立ちました。
生まれる日も亡くなる日も選べないのが人間なんですね。

医療から葬儀に世界が変化します。

特養で亡くなった母

特養で亡くなるというのは、どういうことなのか。それまで、私はそんなことを考えたことはありませんでした。私は病院での最後を何度か経験していましたが、病院のような心電図モニターなどは、なかったです。

でも、酸素吸入器は使いました。酸素吸入器についても、家族の同意がなければ使わないのだと思います。母の場合は「楽になるから」という看護婦さんのアドバイスを受け入れ使いました。

特養に病院から医師が呼ばれ、死亡宣告をしました。たぶん、その15分ほど前に母は逝ったように思います。

死後の処置を待つ間に葬儀社に連絡しました

その後、母は個室だったせいもあったのか、部屋で過ごしました。なので、母が亡くなっていること以外は普段と何も変わらなかったです。

そして、しばらくして部屋から出され、酸素吸入器などは取り外し、施設の方が簡単に髪を整えてお化粧をしてくれるのを待ちました。そのとき、ロビーで葬儀社に電話をしました。

やはり、特養は市の近い場所なのだな、そう感じました。

葬儀社に迎えに来てもらいました

母からは、葬儀の場所については希望を聞いていませんでした。

けれども「この地区の人はここで葬式をいつもする」と言っていた場所を思いついたので、そこへ電話しました。

コールセンターにつながって場所を伝え、その後、葬儀場から連絡をもらいました。

用意したら、すぐ迎えに行けるというので、その晩のうちに迎えをお願いしました。母を運び出していると、他の入所者の方に少なからず影響するかなと思ったのです。

担当者
担当者

1時間半後に迎えに行きます。

葬儀の世界もしっかりマニュアル化されていて、その段取りの良さには驚きました。

特養から葬儀場に

葬儀社の迎えが特養に来たのは2時間後。夜中の1時半でした。

その際には、私はそばにいただけです。それでも、特養の方と葬儀社の方で段取り良く流れ、母は葬儀場に移されました。

迎えのとき、特養は何もせず、そのままでした。

担当者から

片づいたら連絡しますから

そう言われて、なにも後のことはせずに施設をでました。

私は夜道を自家用車で葬儀場まで向かいました。

そして、母は葬儀場に安置されたのを確認。その後、担当者と通夜・葬儀の日程を決めて、その日は帰宅しました。

そのとき母を放置した形になったのですが、葬儀場の人もいることだしとそのまま帰りました。

そのことを、あとで叔母にはあきれられましたが、自分の体調を考えて、そこまでは思いませんでした。

あとで思い返してみたのですが、葬儀の時のことは結局のところ自分がどうしたいかだと思います。無理をしなくて正解だったと思います。

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