さぁ、在宅介護になります。第3片づけ期の始まり 母の帰宅 – ひとりっこでも介護はあたり前じゃない|見て見ぬふりも限界で実家を片づけた話のとおり、母が帰ってきました。
ですが、私は母の在宅介護そのものにはかかわっていません。
その時期をどうすごしていたかを、こちらでは紹介していきます。
母の在宅介護は、私の状況がどんどん変化した時期です。
それにともなって、できることも変わり、しんどさも変わりました。
母の在宅介護への私のかかわり方を決めたのは私の状況でした
在宅介護での私の仕事は、基本的にはゴミの始末と日曜日のごはん対応、それと月1回の通院介助と決まってはいました。けれど、それだけという訳にはいかず、いろいろな用事がありました。
そのうち、私の状況が変化し、それにともなって、かかわり方が変化しました。
自宅で「主婦」として過ごしている時期
自宅で主婦として過ごしていた時期は、住み始めたばかりということもあったのか、母とケアマネさんからの電話に忙殺されました。でも、一緒に住むもうとは思いませんでした。
なぜなら、実家に行くたびに精神的に消耗していたからです。
母からの電話
最初、自宅に戻った時、母から
もう大丈夫、私ひとりでできる
と言われました。でも、連日呼び出し。
想定はしていたのですが、朝に晩に呼び出されると大変です。
・洗濯機が壊れた!
・エアコンがつかない!
・テレビがつかない!
・あれはどこにやった!
・お金が必要!
という「問題を解決してほしい」といった内容。
いつも、見に行けるときは、その足で見にいっていました。でも、夫のほうが対応できそうなら、夫に会社帰りに寄ってもらって、直してもらいました。
前にも書いたと思うのですが、母は、困ったことを解決しに行っても、私をけなすことが多かったです。それは、いつものことなのですが、感情が邪魔をしてなかなかうまく対応できませんでした。
その発言の理由を冷静に考えると、母にとっては、私に教わるのが難しかったのかな。私は、いつまでも「世話をする存在」だったのでしょう。
それに加えて、私に迷惑をかけたくない気持ちもあったのでしょう。
それでも、夫には「ありがとう」と言っていたようです。
ケアマネさんからの電話
ケアマネさんからも、2日に1回くらいは電話がありました。
消毒を置いてください
清掃用具を新しくしてください
など、設備の改善に関するものが多かったです。その結果、追加で手すりをつけました。
フルタイム勤務と在宅介護
母の在宅介護の最中に、就職をしました。本当は、もう少しあとがよかったのですが、条件がよかったので。
母が自宅に戻って1ヶ月くらいしてからのことです。
母からの連絡は、ぐっと減っていました。
でも、ケアマネさんからは相変わらず電話がかかってきていました。
会社の就業中にかかってくる電話。その頃は、毎回同じ内容でした。
家の中がとっても暑いです。
このままでは、調子を崩します。
暑い実家で
母の寝室兼居室にはエアコンがあったのですが、台所には何もありませんでした。
会社帰りによると、たしかに、うだるような暑さです。
その年は暑い年でした。
エアコンなんていらん。絶対いらん。
実家に行って、エアコンのことを言うたびに、母は「いらん、いらん」の一点張り。
何日かそんなやりとりをしました。しょうがないので、無理に設置しようかと思いもしたのですが、エアコンはつけませんでした。
母の人生。好きなようにやりたいのに、無理に進めてもしょうがない。
もしものことがあっても、母が絶対に嫌ということはやらないでおこう。
私の中には、あきらめにも似た気持ちが、でてきました。
夏が終わって
そうしているうち、夏が終わり、エアコンがいらなくなりました。
あいかわらず、ケアマネさんから電話はかかってきていました。
今度は、母の体が動かなくなってきました。と
それは、パーキンソン病の薬のハネムーン期が終わったのと、デイサービスでも自宅でも、ずっと座っているせいのようでした。
相談して、在宅のリハビリの人に来てもらうことにしました。
在宅介護は無理ではないですか?
自宅のリハビリは週に1回。それでは母の状態は良くなりませんでした。
月1回の通院でもそれを指摘され、担当医師とリハビリケアマネさんからは、自宅にいるのは無理だから、施設に戻らないかと言われました。
ブログに書いていたこと
そのころの私は、アメブロにこう書いています。
できることをする できることに心を向けるそう考えていますでも、できはしないのに できないことが気になることがありますたとえば 私の場合母に対して 一緒にいて、しっかりかかわって介護すること母のところに、用事で行くときも。長いこと居られないのに現在、母の希望で一人暮らしをしていますがキーパーソンである私のところには在宅介護サービスからひとりでは、もう暮らすのは無理ではないですか?と週に一度は連絡がある母は、自分の家から 出ない寝起きは自宅でしたいと、頑なにこだわる電話の向こうでは、ケアマネさんにそれぐらいできるでしょ 親子なんだからそういわれている気がするでも私にできるのは在宅サービスを入れること週に2日デイサービスに行くこと在宅リハビリを入れること自宅にいたいという気持ちは母自身が納得できない限り変えられない元気な時から自分の意志や頭の良さにこだわりまわりの話は全く聞かなかったひと今の状態がギリギリであっても今のままいたいなら、自宅で暮らせるよう考えて進むきょう、母に“みんなが特養に入るほうがいいんじゃないかというのを断るのが大変”って、話したら珍しくありがとうって言葉が出た私のできることは 母の意志を尊重してあげること私の母と 私の組み合わせではそれが、絆なのかな
そして発病
そのころから、背中がどうにも痛くなっていました。
就職したばかりの会社を休むばかりになり、いろいろあって、車で2時間近くかかる病院に入院しました。
長くなったので、発病後からの母の在宅介護は、次のブログに書くことにします。