どういう因果か私の退院と母の2度目の入院が続けざまにおこりました。この記事は私の退院と母の入院がいっぺんにやってきた の続きです。
私が退院した次の次の日、
調子の悪そうな母の受診について母が診てもらっている病院にいきました。
母は、はぁはぁ息をしながらヘルパーさんの車で病院に向かい、ヘルパーさんと受診しました。
私と娘たち、叔母は、その車を追っていきました。
母の受診でわかったこと
結果、母は入院となりました。血中酸素飽和濃度が53%‼息が上がるはずです。歩いたのが不思議なほど!おぼれている状態でした。
検査の結果、以下の病名が告げられました。
- 肺炎
- 心不全
- 炎症値の上昇
- 白血球数の増加
- 血中酸素濃度の低下
- 大動脈解離
何度も入院とリハビリをおすすめしました。
こんな状態で連れてこられても、こまります。
覚悟をしておいてください。
でも、とりあえずは入院して、安定させましょう。
医師からも深刻な状況だと説明がありました。
病院で点滴を受けて、母は少し元気になりました
母は、点滴していました。
そのうち、元気が出たのか
飴がないと喉がカラカラ
だって、飴を食べさせてもらえないから
私は、飴がないとしんどい
飴を食べたい……飴がいる
ちょうだいよ!
ねぇ、飴!飴ちょうだい!
飴が必要だと、延々と要求してきます。
病院は誤嚥の可能性があるのでと、飴は避けてほしいといわれていたのですが……
結局、叔母が根負けして、飴をあげてしまいました。
結局、母は2度目の入院
部屋の用意ができるまで、時間がありました。
なので、ずっと立っていて私は背中の痛み耐えらくなってきました。そこで、事情を話して、診療室のベッドで30分ほど休ませてもらい横になって待ちました。
そして、入院手続きは、娘たちに頼み、病室に移動し、書類も娘たちに書いてもらいました。
私は実務で役にも立ちませんでしたが、それでも「そこにいて、良かった」と思います。
もしかしたら、案外、母は気を張って、私の退院を待っていたのかもしれません。
私の退院にあわせて、長女と次女が帰ってきていたから、とても助かりました。
2度目の母の入院のとき考えていたこと
入院の手続きのあいだ、なぜこの時期なのだろうと考えていました。
私の退院は、5日ほど早まっていました。つまり、当初の退院予定通りだったら、まだ私は動けなかったのです。
逆に、私が元気だったら、きっと、だれにも頼らずに何もかも引き受けて、いっぱいいっぱいになっていたかもしれません。
こうして、みんなの力を借りて私が進めるのは、ちょうど今の時期からしかありませんでした。
けれど、起きていることは意味なんてないのかもしません。でも、あるのかもしれないと思わせる絶妙なタイミングでした。
そして、また実家は住む人がいなくなりました。