キーパーソンが突然入院|在宅介護はどうなったのか

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SAKURAE
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今回は、私の入院と母の在宅介護の話です。

母の介護において、私は「キーパーソン」という役割でした。

キーパーソンが入院した時、在宅介護はどうなったのでしょうか?

この話は在宅介護にはこう関わっていました(第3片づけ期) の続きです。

母の在宅介護中、キーパーソンである私が入院してしまいました

母が自宅に戻って2ヵ月、私の背中が痛くなってきました。

近所の病院では「肩こり」や「脊柱管狭窄症」と言われ、運動し、マッサージや整体にも通いましたが、どんどん痛くなりました。

2ヶ月苦しんで、心配した親戚の紹介してくれた病院で「化膿性脊椎炎」と診断。

それは、あまりの痛みに救急受診した時、「そんな病気だったら、もう死んでる」と言われた病名です。お正月を挟んで、手術を3回。5週間と2週間入院しました。

私の病気は、いまも原因不明です。

結局、「化膿性脊椎炎」の診断はつかず、現在は「掌蹠膿疱症」か「強直性脊椎炎」に近い病気ではないかと言われています。参考に病気の引用をしておきます。興味のない方は読みとばしてください。

疑い①化膿性脊椎炎

化膿性脊椎炎とは、脊椎(背骨)に生じた感染症を指します。多くの場合は黄色ブドウ球菌と呼ばれる細菌を原因として脊椎が化することから、化膿性病変が引き起こされます。化膿性脊椎炎では障害を受けた脊椎の痛みを起こしたり、脊椎が破壊されることに伴って麻痺などの神経症状が生じたりすることもあります。
放置すると重篤な神経症状を呈することもあり、生活における多大な影響を及ぼすリスクを秘めています。したがって、迅速な診断の元、適切な治療介入が求められる病気です。
化膿性脊椎炎について | メディカルノート (medicalnote.jp)

 

疑い②掌蹠膿疱症

掌蹠膿疱症しょうせきのうほうしょうとは、手の平や足の裏に膿疱(内部にうみがたまった水膨れ)が繰り返しできる病気のことです。通常、“膿”は細菌感染などによって生じるものですが、この病気の膿疱は感染によって生じるものではありません。明確な発症メカニズムは解明されていません。また、約1~3割のケースで前胸部をはじめとする関節が腫れたり痛んだりする症状が見られるのも特徴の1つです。掌蹠膿疱症について | メディカルノート (medicalnote.jp)

 

疑い③強直性脊椎炎

強直性脊椎炎とは、脊椎や骨盤の仙腸関節に炎症が引き起こされる病気です。免疫作用が過剰にはたらいて自身の組織などを攻撃してしまう“自己免疫疾患”のひとつであり、男性に起こりやすく、10歳代後半から20歳代で好発し、40歳以降の発症は少ないとされています。発症すると、炎症が生じた部位に痛みが生じるようになります。進行すると背中を曲げることができなくなり、日常生活に大きな支障をきたすことも少なくありません。難病指定されています。
強直性脊椎炎について | メディカルノート (medicalnote.jp)

入院は突然でした

親戚の紹介してくれた病院は、自宅から高速道路で1時間半の場所。その病院から大きな病院を紹介されました。そこは、自宅から、もっと遠い場所です。

でも、県内でも有数の大きい病院で「化膿性脊椎炎」では、一番とのことでした。ついてきてくれていた夫と近くのしまむらで、最低限必要と思われるものを買って、そのまま入院しました。

入院 点滴

入院後は電話、電話、電話

私の病気は、急ぎの対応が必要なようでした。なので、入院した次の日の早朝に手術を予定されました。

けれど、母の在宅介護のことは、どうにかしなければ!

実は、入院の前々日、夫の母もなくなっており、夫は通夜と葬式に帰らなければなりませんでした。

ケアマネ、叔母、実家の近所の親戚にも連絡しました。

けれど、母には、連絡しませんでした。

おば
おば

お母さんには、私から言っておくから。

無理しないで。

とても疲れていたので、母に対応するのは無理そうな気がしました。なので、叔母の言葉に甘えました。

 

私が入院したと聞いた母からの電話

次の日、たいへんな手術を終えました。そして、その夜、母から電話がありました。

母

びっくりしたわ

私、腰ぬかしたか思って危なかったんよ。

入院したって言ってるけど

元気なんでしょ?ねぇ元気なんでしょ?

痩せた?少しは痩せた?

もう、あんたに用はないわ!私は私でどうかするから、元気でね!!

SAKURAE 今回は、私の入院と母の在宅介護の話です。 母の介護において、私は「キーパーソン」という役割でし…

母 | はい、桜会です♪ (ameblo.jp)より

電話は、そんな内容でした。
しょうがないとは思うものの、一生懸命やってきたけれど、私は母にとって道具だったのかなと、茫然としたのを覚えています。
 

キーパーソンの突然の入院後、母の在宅介護はどうなったのか?

私が入院して、キーパーソンが私では何かと都合が悪くなりました。そこで、代わりのキーパーソンは夫にお願いしました。夫は実の母の死後のいろいろをしながら対応してくれました。

そして、ケアマネさんは、キーパーソンでない叔母にも連絡していたようです。どちらかというと、夫より叔母に言いやすいのか細かいことを連絡してきているようでした。

そして、叔母はそのたびに対応してくれていたようです。そのうえ、ゴミの片づけなどは、叔母もしてくれました。

代理キーパーソンの夫が寒くなった時の対応をしてくれました

冬になったので、今度は実家の台所が寒くなり、暖房が必要だとケアマネさんが、代理キーパーソンの夫に、日々提案してくるようになったと聞きました。

ついに、夫も手伝って、模様替えをしたそうです。そこで、机の脚を切り、ファンヒーターを導入したようでした。

私は、自宅に戻っても、装具をつけていたこともあり、ほとんど母のところにいきませんでした。

私の入院時期の後日談

そして、この入院時期には、後日談があります。それは、母のお葬式の後のこと。
 

友人が、私が入院していたことろに、母が、彼女の母を通じて伝言をしてきたことを教えてくれました。

ふみ子は、いま大変になっているから

話を聞いてやってほしい

その話を聞いて、私には、きついことしか言わない母の気持ちを知ったような気がしました。

やっぱり、私にとって母子関係というのは難しいものでした。

 
 
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